IMG2.gif温かい夢


祖父の夢を見た

 

すっと背筋の伸びた

凛々しい祖父が言う

 

「なんでそんな悲しそうな顔をする?」

 

「だって身体がもうないから

 じいちゃんに会えないから」

 

「なんだ、そんなことか

 敦子は子どもみたいなことを言うなあ」

 

私の大好きないつもの笑顔

 

 

その後、お弁当を作る私のそばで

見えないけれど

祖母が私に話しかけていた

 

 

温かい夢

いつもそばにいてくれるのかな

そんな風に思える夢

 

 




IMG2.gifうたびと染矢敦子の誕生

0730-21


お盆だからかな
うたびとの祖母の誕生日だからかな
いろんなことを思い
何度も泣いてしまう今日です

私が「うたびと」と言うようになったこと
2012.10.1の記事

貼付けておきます

 

『うたびと 染矢敦子の誕生』

プロフィールや名刺にはもう書いています。
ライブでももう語っています。

けど、ここにはまだ書いてなかったので
今日書こうと思います。

染矢敦子がシンガーソングライターから
「うたびと」になった理由。

染矢敦子
生まれ来る言葉を歌にして届ける「うたびと」


子供の頃から、尊敬し大好きだった祖父と祖母。
2003年、祖父と愛犬チャムとの別れからワンワンライブが始まり
私の生き方が変わった。

2012年、突然の祖母との別れ。
その別れをきっかけに気付かされた家族の愛、絆はとても大きい。

祖母は「家族を歌う歌人」短歌をいつも書いていた。
子供の頃から、何も言わなくても不思議と心を読み
大切なメッセージをくれる祖母
「ばあちゃんは、なんで何も言ってないのに、色んなことがわかるん?」
「ばあちゃんは、うたびとの目で見てるからね」

私はそんな祖母を尊敬し、いつか自分を「うたびと」と呼びたいと思ってた。
いつかは突然訪れる。
祖母が逝った日、私は決心した。
「うたびと」として愛を、絆を歌い続けることを…。

祖母のように、ふわっと歌を聴いてくれた人の心を温かくするような
元気や笑顔や勇気や、そんな何か良いものをいつも発信する「うたびと」

2012年8月うたびと染矢敦子の誕生。

大好きな祖父の後に、チャムが…
そして大好きな祖母の後に、たくとが…

なんなんだろうなと思う。

まるで祖母が仕掛けているような奇跡がいくつも起こっている。
たくとを抱っこして、笑って見守ってくれているのかな。

『人見知りの孫の敦子が抱かれて実を取りてゐし梅桃熟るる』

祖母だけが甘えん坊の私を知っていた。
 

 




IMG2.gif100歳のおばあちゃん

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100歳になったばかりの
夫のおばあちゃんに会いに行きました

前に会った時よりも
ずっと元気で
顔色も表情も良くて
髪もキレイにしていて
若返っていました

ホッとして
すごく嬉しかったです


孫が会いに来ること
嬉しいんだなって
おばあちゃんと夫を見ていて思います

夫が子供の頃の話や親戚の話をしていて
私はちょっと蚊帳の外で(笑)
それがまたなんだか良くて…

2人の共通の思い出と
温かい雰囲気が流れていて
それを見ている私もとても幸せでした

私はおじいちゃん、おばあちゃん好きなので
何かできることないかな
喜んでほしいなって思うけど

夫のおばあちゃんの為に私ができることは
夫を大切にすること
夫がおばあちゃんに会いに行くように
さり気なくそっと背中を押すこと
きっとそれだけ
目に見えて何かすることじゃないんですよね

会いに行った時にきっと
何となく伝わるもの
その感じもいいな〜
何かいいな〜


いのちのコンサートでよく話す
曾おばあちゃんのこと
祖父と祖母のことを思い出しながら
2人を見ていました

先日の帰省で会ったもう一人の祖母
「あっちゃんの歌、聴きに行きたいけどなあ
遠いしなあ〜テレビには出らんのな?」
そう言っていたのを思い出していました

テレビに憧れはなかったけれど
祖母が喜んでくれるんだったら
って少し想像をしてみたりしました

一緒に住んでいた祖母なので
やっぱり色々あったけれど
私が載った新聞の切り抜きを
大事にしてくれて
コンサート映像を何度も見ている祖母

こんな日が来るんですよね、続けていると…


そんな風に思いを巡らす昨日でした
そして明日はものすごく愛してくれた
もう一人の祖父の命日

母が祖父に手を合わせるとき
言ってくれたらしいです
「お父さん、長生きしてたらね
 敦子の活躍を見れましたよ」

あっ、涙が出て来た…

じいちゃん、どこかで見ててくれるかな
喜んでくれているかな

 




IMG2.gif祖母の短歌(5)

0816-32のコピー

夕飯のお買いもの中、お豆腐を時間をかけてカゴに入れているおばあちゃんがいました。

私はいつも決めてるお豆腐があるので、隣に並んですっすっと2つカゴに入れました。
そしたらそのおばあちゃんに話しかけられたんです。
「それ、美味しいの?」
「はい!私は好きですよ」
「私もそれにしようかしら」

木綿と絹をどっちにするとか
2個なら安くなるとか話をしながら
取りにくそうで、運びにくそうだったので
おばあちゃんの決めたお豆腐を私がおばあちゃんのカゴに入れました。

「ありがとう」
その瞬間におばあちゃんの顔をちゃんと見ました。
目の奥がしゅんとして、熱くなって、涙が出そうになりました。

こんな風に、祖母とお買いものしたかったな。

祖母は事故で歩行が困難だったので、食材やお弁当を買いに行く機会があっても、お金を預かって私だけがスーパーに行きました。
「お寿司と唐揚げ」
一緒に食べたお昼ご飯。その組み合わせが多かったかな。
祖母は一つか二つしか食べなくて、ちょっと切なかったのを思い出します。


祖母の短歌、今日も読んでいます
本からは時々祖父と祖母の家の匂いがして
祖父と祖母の笑顔が浮かびます


栴檀の木陰にしばし休まむかシルバーカーを押す手の痛む

ゆらゆらと歩道よこぎるカマキリにシルバーカーを止めて待ちたり

がむしゃらに働き生きし吾がひと世生きし証に短歌よみつぐ

気に染まぬ嫁でありしか逝きし夫七年すぎてもむかえてくれず

神よりも己を信ずると言ふ孫のバッグに入るる産土神の守り

手に持てる皿の一つを打ち割りて見たしと思ふ時もあるなり


 




IMG2.gif祖母の短歌(4)

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ゆうらりと風に押されてゆれて咲く
娘の植えくれし向日葵の花



今日は祖母の命日
日本中が平和を願う日

平和を願い続け、語ってくれた祖父の妻
祖母らしい日を選んだ、そんな風に思う


軍人を職業とする夫に嫁ぎ戦をただに吾れの憎みき

窓を明け家内の灯りをみな灯し背を伸ばしたり終戦の夜

おほかたの衣類は米に交換し食ふに失せたり敗戦の日日

一枚だけ残しておきし花嫁衣装質種とせり吾が若き日に

成りし家の二階の窓に夫と立つ吾が来しかたの思ひこもごも

終戦後共に生きこし裁縫机生活のあとを残すへらの痕

祖母の背に聞きて眠りし子守唄孫を背にしてわれ歌うなり




いつでもわかってくれた人
うたびとの目で見ていた人

母と大げんかして家を飛び出した日
言ってくれた言葉を思い出します


先日の私の誕生日
このブログ内
祖父と祖母、母や父のことが書いてあるページをプリントして母に送りました
母に、祖母の短歌を読んでほしい気持ちもとても強くあって…

「今日は私の誕生日。生んでくれて、ありがとう。育ててくれて、ありがとう」
と手紙も書いていれました

切手を貼って出した後
そのことをまだ知らない母からメールが届きました

「今日まで元気でいてくれて、ありがとう
 ありがとう〜誕生日♪おめでとう〜♪」

そんなこと言われたのは初めてでした
「ありがとう」同じ気持ち、優しい気持ち

足りない私と思ってきました
母を幸せにできない私を責めてきました

私がここに生きてること、母はいつも肯定してくれている
それを言葉で伝えてくれたその時…
きっとずっとほしかった言葉
涙が出ました


私が良いと思ってすることで
母を喜ばせることはなかなかできないと思っていました
いつも空回り
でもそのブログを母はとても喜んでくれました
結構、大量にあったのですが
「読み出したら止まらなくて、一気に読んだよ」
って言ってくれました
嬉しかった、本当に嬉しい


そして気づくんです
母を喜ばせられなかった、そう思っていたことも勘違いだったってこと

小さい頃、母が大好きで心配で
いつも母に書いていた小さな紙切れの手紙
母は今も時々読んでいるそうです
「あれなかったら頑張れなかった」
そう言ってくれました

私のある部分、人に自慢はしなかったけど
お母さんにとって自慢で、それが支えだったよ
そんな風にも言ってくれました

思い合っている、支え合っている母と娘

思い出します
母と大げんかして家を飛び出した日の祖母の言葉

祖母が言ってくれた言葉はいつも
見過ごしてしまいそうな、大切な真実でした


子を思ふ吾の涙はわがために母の流せし涙と今知る



【リンク
エッセイ:祖母の短歌

エッセイ:祖母の短歌(2)

エッセイ:祖母の短歌(3)


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IMG2.gif祖母の短歌(3)

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実家に帰った時に、祖母の短歌をまだ三分の一ぐらいですが持ってきました
読みながら、時間を見つけて整理をしています

母のお兄さんは
「いらんけん、ぜんぶ持っていって」
と、笑いながらですが言ったり

祖母は1冊、自費出版で短歌の本を出したのですが
「お金ばっかりかかって」
「2冊目を出したがってたけど止めさせたもんなあ」
そんな風に言い、それに母も同調していました

でもそうだろうなあ
おじさんや母が非情なんじゃない

何かを作る人にしかわからないかもしれない
私はばあちゃんの気持ち、よく分る
自分の作品を形に残したいんだよね

「短歌は、敦子が全部もらってくれるから安心。

歌は、敦子にしか分からん。」
って生前、祖母が言っていたそうですが
あ〜本当そうなんだろうなと2人の会話を聞いて思いました


今、祖母の短歌を読みながら
「いいな〜」って少し羨ましい気持ちが沸き上がっています
孫である私の歌より
娘と息子(母やおじさん達)の歌が圧倒的に多いからです


満開の桜の下に
 娘の持ちしお昼の弁当 手作りの寿司

母の日に転ばぬ先にと長の子が
 買いてくれたる一本の杖

我儘は言ふまい
 三人の子に守られ米寿祝う今日ありがたし

厨房に入るなと育てし息子の作る飯
 食べ生きる九十歳吾

娘の来たり雑草取りてくれし庭
 灯るごと石蕗の花



全く…あの人たちは…
って、祖母の短歌を読みながら
一人で苦笑いをしています

子供って、そんなものかもしれないですね
少し距離のある孫だから見えることもある


いくら形見に大切な短歌をもらうと言っても
定期的にハガキを書いたり、電話をしても
祖母の気持ち、私にしか分らないことがあっても
やっぱり共に過ごす時間の長さには敵わない
母やおじさんには敵わない

それが少し寂しくて、でもとても温かい


短歌を読んでる間中

『日々を大切に生きなさい』

そんな祖母の声が私の中で繰り返し、聞こえてきています
もっと実家に帰ろう
父と母と過ごす時間を作ろう
そう思います


私の感性は、祖父と祖母から受け継がれている

今回の帰省で見つけた祖父の作った歌
老人会の歌なのですが
作詩、作曲の所に祖父の名前がありました

嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて…
詩吟や剣舞、アコーディオンの演奏だけじゃなく
曲も作っていたんですね

大好きな祖父と祖母がまた近くなりました
もっともっと、いっぱい話をしたかったな
心の中で最近はたくさん会話をしています



【リンク
エッセイ:祖母の短歌

エッセイ:祖母の短歌(2)


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IMG2.gif祖母の短歌(2)

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祖母の夢を見た
短歌を書き続けた祖母

「いつも近くに置いてる入れ歯とペンがない
ペンがないから短歌が書けない」
と言っていました

私は自分のペンをいくつか祖母に渡しました



前にブログにも書いたのですが
お棺に祖父と祖母との思い出の花
ひまわりを入れようと町中の花屋を探しました。

ひまわりは見つかったけど
私…ペンも鉛筆も入れなかったですね

母に電話をしてお仏壇に
ペンを置いてもらうことにしました

「短歌は、敦子が全部もらってくれるから安心。

歌は、敦子にしか分からん。」
生前、母たちに何度も言っていたそうです

亡くなる少し前に書いてた短歌を今日は久々読みました
広告の裏にたくさん、たくさん書いています
その多さに「ばあちゃん、すごいな〜!」
って思わず口にしていました

いくつか載せますね


病み古りて生きいる日々の苦しさに
 死なんといひて娘をかなします

今一度 古里の島の磯めぐり
 魚釣りたし貝拾いたし

指病みて筆を折りたる水墨画
 画きてみたしと思ふは淋し

なすもなく生かされ生きる淋しさを
 吾れ守る子らも今は知らざる

終の家の亡き夫の建てたるあばら家に
 八十九歳 我は生きる



そんな思いだったんだって
私は祖母が亡くなって
短歌を読んで始めて知りました
読みながら号泣しました
もっともっと会って、話をすれば良かった

母達も知らなかったんだろうな
私が伝えなきゃね、ばあちゃん

夢に出てきてくれて、ありがとう
まだ受け取ってない短歌
もらいにまた帰るからね


【リンク
エッセイ:祖母の短歌

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IMG2.gif祖母の短歌

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吾が背丈越えたる孫の肩抱けば
 丸き顎のまだ幼かる

生きてゐる証しと吾の歌を詠む
 悲しき時は哀しきと書く

ラーメンの出前せかする間違ひ電話に
 もうつく頃と吾は答ふる

母さんと吾を呼ぶ子等の居る限り
 命は愛(を)しみ生きんと思ふ


子や孫に見守られ祝う誕生日
 目出たくもあり90歳われ


先日のコンサートで読んだ祖母の短歌です

**

私は祖父と祖母が大好きでした
尊敬する人
私の人生の師匠
憧れの夫婦

祖母は短歌を詠み
水墨画を描いていました

祖父は詩吟と剣舞
心臓病や足が不自由な祖母を支え
祖母の短歌や水墨画を応援していました


私はコンサートでよく祖父と祖母の話をします
最近の高齢者のお楽しみ会のコンサートでは
祖母の短歌を読みました。

祖母は生前、母に言っていたそうです

「敦子が継いでくれるから
みんな興味を持たないけど
敦子が短歌は全部もらってくれるから安心」

年をとってからは
震える手で書いていた短歌と水墨画

水墨画の道具も母が私にくれると言いました

生きている間に思いついていれば…
もっと喜んでもらえたのにな


戦時中の祖父の日記のような紙切れが出てきたそうです

それも敦子にあげようと思う
なにかに使ってくれるでしょ

と母が言いました
きっとコンサートのことを言っているんだと思います

平和を願い続けた祖父
祖父の思いは私にも受け継がれています
そんな話もまたコンサートでしたいと思います

母と話をして
祖母の短歌を読み
涙が止まらなくなりました

そして絵を描きました
ポストカードにしてお手紙を書いて
実家と、祖父と祖母のお仏壇にあげてもらうものを送ろうと思います

祖父と祖母は今も私を支えてくれています

大切に生きます
ありがとう

**

写真は、ビオラ 蒼いうさぎです♪
名前も色も形もかわいい☆

 




IMG2.gifお餅と祖父母の思い出

P1082736

夫はお餅が好きらしく
そんな話を母としたら
母からお餅が届きました

ちょうど昨日は祖父の命日だったから
お仏壇にもあげたそうです

私も昨日は祖父を思い、歌を歌いました

いつも優しく私を大切にしてくれる夫を
ずっとずっと大きな愛で包んでくれた祖父と祖母に会わせたかった

祖父と祖母を思う時、その気持ちがいつも湧いてきます
「良かったな」ってあの優しい笑顔で言ってくれたんだろうな


実家のある大分では
祖父母の家で毎年12月30日、お餅をつきました

お餅つきの写真を引っ張り出して今日は見ていました

そのときに使っていた餅つき機で
今は母がお餅を作って送ってくれます

祖父と祖母の優しい思い出と
母の寂しさとたくさんの愛情で
胸をいっぱいにしながら

私の理想の夫婦
祖父と祖母に語りかけます


じいちゃんみたいなね
人と出会いたかった

じいちゃん、ごめん
私にとって、彼はじいちゃんを越えたかも

だってじいちゃんの一番は
ばあちゃんだったからね
それでいいんだよね


人と上手く関われなかった孫のノロケを
2人は笑って聞いてくれているかな

そうだったらいいな

今日も歌うね♪







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