笑顔で優しい人になりたいと思った

Margaret

いつも母が頼んでくれている地元のお米。昨年の収穫が少なくて在庫がなくなったらしく、久々こちらで買うことになりました。それで思い出したのが、うたびと の祖母のこと。

日本のお米が少なくて、タイ米が広く知られた時がありました。

その頃、母が言いました。
「ばあちゃん。自分でタイ米、買ったみたいなんよ。言ってくれればいいのにね。」
心臓の病気があり、事故で歩行も困難だった祖母。それでも自分で歩き、バスに乗って病院に行っていたことも思い出しました。
「行ってくれれば連れて行くのに」母が何度言っても、自分で行くんです。たまに母にお願いして送り迎えをしてもらうと「タクシー代」と言って母にお小遣いをくれていました。自分で行ってもお金はかかるからって。

できることは自分で

祖父も祖母もそう言う人でした。そして、いつも笑顔で優しく温かく、人を悪く言うこともありませんでした。
たくさんの辛い思いも不安も投げ出したくなることもあっただろうにね。

だから、私もそんな人になりたいと思っていました。

そうやって生きていると、たまにこの歌の始まりの歌詞のように「疲れた…」って思うことがあります。

先日、亡くなった三浦春馬くんも、もしかしたらこの歌のようだったんじゃないかな。そんなことを思って、この歌詞をブログに載せました。
親にも友達にも自分の弱いところを見せられなくて、助けてと言えなくて。頑張って、頑張って。いつも笑顔の人と思われていた…
彼と私は全然、違うかもしれないし、私は自分が思うよりできてないかもしれないけど、勝手に彼に共感してしまって、いつもならすぐに通り過ぎる辛さが何日も続いていました。

でも、祖母のことを思い出して、心に引っかかっているものが取れました。

いつも笑顔で優しい人になりたいと思ったのは、祖父と祖母が大好きだったから。そんな人が素敵だと思ったから。私も誰かを笑顔にしたり、励ましたりできる、揺るぎない存在になりたかったから。
私が望んだこと。
始まりはきっとキラキラとした憧れ。

「あっこが誰より頑張ってること、ばあちゃんは知ってるよ」

祖母の言葉も思い出しました。

少しだけ、心の向きみたいなものを変えると、ガラッと変わってくるものがあります。

自分の中の「こんなとこ嫌だな」ということも、もしかしたら、すごく素敵なところかもしれませんね。
そして、誰もわかってくれない、なんてことはないのかもしれないですね。

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