2002年に作った56番目の歌です。
本物といわれるものに触れたいと思って行ったフジ子・ヘミングさんのコンサートで感じたことから歌は始まります。
歌詞のない音楽で涙が止まらなくなったのは、初めてでした。
フジ子・ヘミングさんのピアノに感じたことは、実際は違うかもしれないけれど…。もしかしたら、当時の私自身がそうだったのかもしれません。
二番の歌詞の彼は、5年間、一番近くにいた人、キラキラしていた人。彼の暗闇を知る人は当時、ほんの数人だったと思います。彼と離れてしばらく経って、フジ子・ヘミングさんのコンサートの帰りにこの歌が浮かんた時、彼のことも思い出しました。
最後の方の歌詞は、年明け、亡くなった大好きな祖父への思いも入っています。
そして今となって、この歌詞がまた別の意味で沁みるのは、二番の歌詞の彼がその後、何年も経ってふと私のコンサートに来てくれたこと。自ら命を絶ってしまったこと。またいくつもの別れを経験したからだと思います。
離れている大切な人たち
早く「共に過ごす」時間が来ますように。
砂の城
彼女はグランドピアノと
共にステージにいる
彼女の指先から
彼女自身や彼女の過去が音になる
その音は愛や希望や優しさではなく
孤独や絶望
悲しみや痛みから生まれてる気がした
人生はなんて残酷で儚く
力強く豊かで美しいのだろう
どうか すべての人達に感動の涙を…
一度でも多くの幸福と笑みを…
彼はいつも仲間の中心で笑ってる
笑いを振りまくピエロ 高く艶のある歌声
そんな彼が「恐い」と泣き出す夜
そんなことは誰も知らなくていい
胸の傷は見えなくていい
彼の世界に引き込まれていく 僕達は笑い続ける
原色の興奮が扉を叩く
ケセラセラ 人生なんとかなるだろう
光があれば影が生まれるように
波が寄せて引くように
幸福だけで人生 語れない
僕達は砂の城を造り続けている
完成する日はきっと来ない もろく美しい城
たった一人の‘生’の輝き
それぞれの人生に溶ける
この場所この同じ時間
共に過ごせて本当に良かった
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