母のお弁当

母の卵焼き
母の卵焼きです。綺麗な色でしょ。

今日のお弁当は喜ぶだろうなと思った日、何も言われないとさみしい。

そしてふと思う。私はどうだったんだろう。
中学と高校はお弁当で、母がいつも美味しく、彩りのキレイなお弁当を作ってくれていた。
私は「美味しい」って、「ありがとう」って言っていたんだろうか。

母の卵焼き、食べたいな。
探してみたら、帰省した時に撮った写真があった。

私と妹、父と祖母、4つのお弁当を作っていた母。
大変だっただろうな。
そういえば一度も、作れないから何か買って…みたいなことはなかったなあ。
全てにおいて母の最優先は、娘の私たちだったと思う。
きっと自分以上に。

家族が母のお弁当を持って学校や仕事に行く平日、母はどんな時間を過ごしていたんだろう。
5人家族で、頑張り屋の母のことだから、家事や家族の色々にかなりの時間を使っていたんだろうけど、ゆっくりする時間も少しはあったんじゃないかな。

何をしていたのかな?
愛犬チャムと寄り添って、テレビを見たりしてたのかな。

チャムは私と一番仲良しって思っていたけど、隣に座る母に触ろうとして噛まれたことがある。妹も母のベッドで寝ていたチャムにかなり激しく噛まれている。私もショックだったけど、妹もショックだっただろうな。

チャム
チャム

今ならわかる。手作りご飯をあげて、長い時間を二人で過ごして、一緒に寝て…
チャムにとって、母が一番だったんだろう。
私と妹が家を出て、老犬になったチャムが17歳で亡くなるまで、介護をしたのも母だもん。

先日、テレビに別府ラクテンチが出ていて、懐かしかった。
ケーブルで行くから、ケーブルラクテンチって言ってたけど、名称が変わったのかな?それとも私たちがそう呼んでいたのだろうか。

母と妹と親戚のお姉ちゃんと行ったことが一番、印象に残ってる。
坂道、母は小さな妹と手を繋いで、私は親戚のお姉ちゃんと手を繋いでいた。
そんな記憶がある。合ってるかな。

あの日の私をどこかから見たいな。
笑う母を見たいな。そんな気持ちになった。

母のことを色々考える今日、6月10日。
いつ帰省の許可が出るのだろう。
母に、父に、早く会いたいなあ。

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